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港のメリーさん [日々の眺め]

昨日、車のラジオから「ハマのメリーさんが・・・」という名前が聞こえてきた。
思わず耳を澄ますと、「74歳の時、突然横浜から姿を消したハマのメリーさんが
中国地方の老人ホームで亡くなっていた。84歳だったという」という話だった。

    

ハマのメリーさん。

ある年代の横浜の人なら、たいがい思い浮かべることができる伝説の“貴婦人”だ。
まっ白に塗り込められた顔
金髪に染められたロングヘア
白いロングドレス
白いハイヒール
傘や大きな紙袋をさげて
ヨタヨタと街のあちこちを歩き回っていたひとりの老女

戦後、米兵相手の外人バーの側で立っていた
いわゆる娼婦だったいうメリーさん。
70代になっても「売春で逮捕」という記事になったこともある。

                     

その頃、馬車道の近くに勤めていた私は
毎日のようにメリーさんの姿を見た。

宝石店の前のベンチに優雅に座っていたメリーさん
信号が赤になっても悠然と渡っていたメリーさん
ビルのガラスに映っている自分の姿をじっと見ていたメリーさん

道行く人は
あぁ メリーさんだというような視線を向けてすれ違う

どこでどんな暮らしをしていたか誰もわからない
晩年は ある雑居ビルの廊下が住まいだったという

メリーさんは横浜の街の風景になっていた

そのメリーさんの消息を追ったドキュメント映画を、中村高寛という監督が撮って
いたという話が、ラジオのメーンだった。

メリーさんと関わった人たちに、メリーさんを語らせる内容だという。
その中で特に親交があったというシャンソン歌手の永登元次郎(故人)さんが
中国地方の老人ホームに入っていたというメリーさんを訪ねていく。

素顔のメリーさんは可愛いおばあさんになって、永登さんの歌う「悲しみのソレアート」を
にこにこと聞いていたという。

背中を丸めてベンチに座っていたメリーさんが思い出される。
メリーさんの人生が幸せだったのか、不幸だったのか・・・誰もわからない。

横浜の風景に、横浜の人々に 「ハマのメリーさん」と深く刻み込まれたメリーさん
これからも、伝説の貴婦人として語り継がれていくのだろう。

      

   ラジオから流れてきた「悲しみのソレアート」
   梓みちよの歌声だったが、とても心にしみいる曲でした。









   


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共通テーマ:日記・雑感

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コメント 15

こんにちは。
なんだか心に染みる話でした。
うまくコメントできないんですが、メリーさんと話してみたくなりました。
by (2006-01-27 06:39) 

すごく、重い人生ですね。メリーさんは日本人だったのですか?
日本には安らげる終の棲家はなかったのでしょうね。
残念ですが、どこか「唐人お吉」や「マダムバタフライ」を連想させる物語・・・
共通のキーワードは港街。
by (2006-01-27 09:24) 

パキちゃん

初めまして、おじゃまいたします。
「ハマのメリーさん」に目が留まり、懐かしく、切なくなりました。
私も馬車道界隈に馴染みがあった頃、よくお見かけしました。
遠方に行ってしまわれていたのですねぇ。。。
白いパラソルを差して、どこか遠くを見ていらっしゃったのが印象的でした。
by パキちゃん (2006-01-27 10:34) 

アッキー

ハマのメリーさん、もちろん知ってました
馬車道も良く遊んでいたのでメリーさんを見かけていました
悲しい人生だったのか、楽しい人生だったのか・・・・・・
一人の人生が過ぎて宇宙に溶けていったんですね
時代の記憶の中で生きていることでしょう
by アッキー (2006-01-27 12:35) 

タックン

れいさん
私もうまく語れないのですが・・・
不思議な存在感がある女性でした。
近く、また映画が公開されるとか
メリーさんに会えるかなと思っています。
by タックン (2006-01-27 22:07) 

絵瑠

タックンさん、こんばんわ。
私も何度かメリーさんをお見掛けした事が有りました。
五大路子さんでしたか?どなたでしたか舞台で
一人芝居でメリーさんを演じられましたよね。
by 絵瑠 (2006-01-27 22:16) 

タックン

こぎんさん
そうですね、港町横浜だったからメリーさん伝説が
生まれたのでしょう。
もちろん実在した日本人女性でしたが
本当にどこでどうして生きていたのか・・・
どうしてあんな白塗りの姿で歩き回っていたのか
誰もが気になっていたのに、誰もがすれ違うだけの
風景の人だったのかもしれません。
by タックン (2006-01-27 22:17) 

タックン

パキちゃんさん こんばんわ!
お越しいただきありがとうございます。
私も、遠方で、それも老人ホームで
84歳の最期を迎えられていたと聞いて
そうだったのかぁ・・・と
横浜のひとつの時代が終わったことを感じました。
白いパラソル、似合う方でしたね。。。
by タックン (2006-01-27 22:31) 

タックン

アッキーさん
メリーさんは、馬車道がよく似合いましたよね。
(私も馬車道好きです)
今のみなとみらい地区ならどうだったんだろう?
by タックン (2006-01-27 22:37) 

タックン

絵瑠さん こんばんわ!
そうですね、五大路子さんが一人芝居で演じられていますね。
誰がどんなに語ろうと「港のメリーさん」は
謎のままかもしれません。
老人ホームでにこにこと・・・と
ご自分の人生を語られたことあったのでしょうか・・・。
by タックン (2006-01-27 22:46) 

レイン

私も横浜で仕事していますからメリーさんとは何度かすれ違いました。
老人ホームに入られていたことは歌手の黒沢博さんから聞いていましたが、亡くなられたのですか。
文章と港町の情景がとてもマッチしています。
by レイン (2006-01-28 07:55) 

風の又三郎

戦後の混乱期・・・メリーさんと似たような人生を歩んだ方は多くいたのではないでしょうか? その中で、語られるような生き方を自ら選んだとしたのなら、そうまでさせる何か、があったのでしょう。
他人には決して窺い知ることのできぬ、何かが・・。
by 風の又三郎 (2006-01-28 18:37) 

タックン

レインさん こんばんわ
黒沢博さんもメリーさんと親交があったのでしょうか?
メリーさんが亡くなったには1年前ということでした。
思い出しても不思議な女性でしたね。
by タックン (2006-01-28 21:20) 

タックン

座敷わらしっこさん
語られるような生き方を自ら選んだ何か・・・
そうかもしれませんね。どんな格好をしていようと
あの凛とした姿は、動乱の時代を生きてきたんだという
近寄りがたいオーラが漂っていました。
by タックン (2006-01-28 21:28) 

檀原

はじめまして。
「メリーさんの故郷の写真」というブログをつくっています。
「ヨコハマメリー」とはかなり違う視点からメリーさんを扱っています。
 ↓ ↓ ↓
http://yokohamamerry.jugem.jp/

あえて「人情話」にはしておりません。
ご感想をお寄せ頂けると幸いです。
by 檀原 (2008-05-04 13:52) 

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